現実は想像してたよりも意外なことが起きるもんだから。

現実は想像してたよりも意外なことが起きるもんだから。

まだ想像しかできなかった時分には、人と人のあいだには壁があって、それをひとつずつ取り除いていけばいつかパートナーになれるものだと思ってた。
現実は、壁を少し残しておくことがパートナーとしてやっていくのにとても重要だった。0.02mm。

関係をこわさないために必要な距離。0.02mm。

ロマンチックシモネタ。

個人という言葉は英語でindividual。

個人という言葉は英語でindividual。直訳すると不可分。分ける(divide)ことができない(in)という語源。そう、これ以上は分けることができない単位としての個人、という意味。

食器を片づけながら女は言う。“本当の貴方がこんな人だと、なぜ出会った頃にはわからなかったんだろう”
男は思う。“本当の自分か。確かに今の自分は本当の自分っていうやつだろうな”

もちろん、こんな会話を交わすからといって2人がぎすぎすしているわけではない。むしろ、長い時間を過ごしてきたからこそ成立する、小さな日常の一部分。いつでも限界まで近づける2人。最大至近距離0.02mm。何ダースもの空き箱を片づけてきた2人。

男は思う。炬燵に脚を突っ込む自分も本当の自分、女の目に触れることのない時間の自分も本当の自分。divideできないなんて実は嘘だ。そして知る。これはだからといって誰かに理解させることができない

ことがらだということも。

ふと男は我に帰る。もしかしたらこの女の本当の姿というものを、勝手に脳の中で描いていなかったか?

身を近づけ、息を交わす。0.02mmまで近づいて、またひとつ空き箱を捨てる。
女はそれを男の本当の姿と錯覚し、男はそれを女の本当の姿と錯覚する。

錯覚が、世界を守る。そして錯覚を支える壁は、0.02mm。0.02mmで、世界は周る。

ロマンチックシモネタ。

最近、個性というものは結局なんなのか、ってなことをよく思う。

最近、個性というものは結局なんなのか、ってなことをよく思う。子どもといる時間が長いからだろうか。こんなあやふやな個性なるものを自分と他人の境界としていることについての危うさ。

極論。人と人はどうがんばってもこれ以上は近くなれないということを、なのに人はしばし忘れる。
どうがんばっても届かない距離。0.02mm。

この0.02mmを思い出す瞬間、人は優しくなれる。“そうだった。ゼロにするなんてことはそもそもできない話だったよね。”
ゼロになったような錯覚と、それから覚めたらくっきりする現実の、そこから優しさは生じる。他人にも自分にも。そして他人と自分を隔てる境界にも優しくなる。

個性なんてものはまやかし。でも、そのまやかしを境界として維持するためには必要な0.02mm。

この大事さを忘れたら、個性なんてただのまやかし。

ロマンチックシモネタ。